6月2日(金)、河内長野市高向にある「ふるさと歴史学習館」で、「綿(ワタ)の育て方レクチャー会」が開催されました。この会は、かつて河内長野でたくさん作られていた綿や河内木綿の普及啓発につながる活動、「綿の里親プロジェクト」の一貫です。
ふるさと歴史学習館の外観写真
綿の里親に登録した市民が、ここで綿の栽培方法や河内木綿について教わり、綿の苗を受けとります。

和綿と洋綿、よりソフトなのは?

タオルや下着、Tシャツ、化粧用コットンなどなど。
わたしたちの身の回りには、さまざまな綿製品があります。ですが、それらがどうやってできているのかは、普段なかなか意識しませんよね。

レクチャー会では、まず学芸員さんが、綿の種類について説明してくれました。

綿にはさまざまな品種がありますが、大きく「和綿」と「洋綿」の2つに分けられます。
実は、わたしたちの周りにある木綿製品は、ほぼ100%洋綿。現在、日本の綿花の自給率は0%といわれ、アメリカやブラジルからの輸入に頼っているので、和綿でできた製品はほとんどないのです。
これが和綿と洋綿です。
カゴにのった白い和綿と洋綿、その後ろに茶色い洋綿
触ってみると違いは明らかで、和綿は少しゴワゴワしていますが、しっかりした感触。一方、洋綿は軽いタッチで、ふんわりしていました。

ちなみに奥の茶色い洋綿は品種が違うわけではなく、雨に濡れると、このように茶色く変色するそうです。

今回育てるのは、かつて河内長野でたくさん栽培されていた和綿。正確には、アジア綿という品種です。
江戸時代、河内地域で作られる河内木綿は、奈良の大和木綿、愛知の三河木綿と共に「三大木綿」に数えられ、全国的に有名でした。中でも、河内木綿は糸が太く、丈夫で質が良いと評判だったとか。河内長野市域でも、特産品としてさかんに生産していたそうです。

人々は綿毛を布団や座布団の中身にしたり、家庭で糸を紡いで機を織り、家族の衣服を作ったりもしました。そのように、大正時代頃までは、綿づくりが河内長野の人々の身近にあったそうです。

ですが、海外からの洋綿の輸入や機械紡績の発展、それに伴い、手触りが良く柔らかい綿製品が好まれるようになったことなどから、国内の綿づくりは消えていきました。

ふるさと歴史学習館では、今もアジア綿を栽培し、河内長野の綿づくりや河内木綿のことを伝え続けています。そのためのお手伝いをするのが、「綿の里親プロジェクト」
里親が育て、収穫した綿は、ふるさと歴史学習館のワークショップや体験学習で使われます。

綿で作れる可愛いグッズをご紹介

収穫した綿は、天日干しして、しっかり乾燥させてから使います。専用の道具で中の種を取り、繊維をほぐして糸車で紡ぐと、木綿糸ができます。

綿から木綿糸をつむぐための糸車
ふるさと歴史学習館では、小中学生が体験学習に訪れ、糸繰り体験や木綿を使った工作を行っています。
木綿糸を織り込んだコースターと、綿で作った羊のマスコット綿を雪に見立てて飾ったクリスマスリースと、松ぼっくりのツリー

コースターは、実際に綿から紡いだ糸を織り込んで作ったもの。白い部分に、小学生が糸繰り体験で紡いだ木綿糸が使われているそうです。
また、綿の実をそのまま使って、雪に見立てたクリスマスリースや、羊のマスコットも作れます。
去年は、11月に羊のマスコット作りのワークショップが開催されています。
昨年のワークショップの情報はこちら(ふるさと歴史学習館のサイトに飛びます)
 
また、綿の栽培と同じく、河内木綿を語るうえで欠かせないのが「藍染め」。
かつて市内には紺屋(藍染め屋)が数店あり、木綿の糸や布を染めていたといわれます。
藍染めの布とドライコットン藍染め布と綿で作ったネックレス
藍染めした布は、植物染めならではの濃く深みのあるブルー。
そんな藍染め布と綿のコラボ作品が、写真右のネックレスです。玉の部分には、綿が詰まっています。綿の実を思わせる形が可愛く、藍染めの風合いが味わい深いですね。
このネックレス作り体験も、ふるさと歴史学習館で開催されたそうです。

綿がたくさん収穫できれば、今年も素敵な体験学習やワークショップが開催できるはず……!
里親として、綿を立派に育てたいという気持ちが高まりました。


次回は、レクチャー会で教わった、綿の育て方についてお伝えしようと思います。


・ふるさと歴史学習館(河内長野市HPふるさと文化財課)
http://www.city.kawachinagano.lg.jp/kakuka/syougaigakusyuu/furusato/gyoumu/gakusyuukan/index.html